金佐鎭(二)



金佐鎭    光復團에加入    設軍政司    金斗漢    金一星에게被殺하다   

金佐鎭白冶, 系出安東, 衡均二男, 淸陰尙憲(仁祖時人) 편자주 後, 古筠玉均之四從侄, 高宗庚寅(二十七年) 편자주 三月, 生于忠淸道洪城郡高道面杏山里第, 爲人魁梧性豪放, 六歲父見背, 自幼嬉戲好弓馬, 有急難風, 見流丐
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則, 每推飧食, 見其寒者則, 分衣服之, 以此皆期遠大, 及就學好讀三國·水滸等誌, 如小微史小學等書皆不喜, 與群兒常設陣容, 爲戰陣事, 一不作嬰兒區區之戲, 特書其旗曰, 抑强扶弱, 至是其兄某遂搬抵京城, 是以佐鎭年十五遂擔家, 日召奴婢數十人, 設一宴盡心歡之, 宴破盡燒其奴婢案, 各與財還之曰, 從此汝輩, 皆得其自由, 乙巳佐鎭年十六, 時京城學校, 不過官立竝宗敎校數個所, 而佐鎭已知學古爲無益, 洪城設私立湖明校, 募聰俊敎新學, 時無屋可居, 佐鎭使眷率移小屋, 出所居室八十餘間爲校室, 是歲十月, 日賊脅太皇, 勒成五約(乙巳保護條約), 편자주 京鄕有志, 皆懷不平, 各自擧義, 欲以討復, 於是佐鎭亦入京, 見盧伯麟·尹致成, 與各郡義旅, 相聯絡以爲運動, 因往大韓協會, 爲洪城郡支部長, 及歸設大韓協會支部, 此以獨立以主旨, 卽所謂民政黨也, 自是佐鎭全力其民政運動, 而其在育英亦不甚疏忽焉, 洪城又設畿湖興學會, 選湖明生送京城遊學, 丁未有李昌奉京城設孤兒院, 佐鎭爲總務, 是時始有漢城申報, 卽民間之言論機關也, 佐鎭又爲理事, 於是佐鎭雖從事各項而其胸中鐵柱, 不特此爾, (此下二行墨版庚午陰正月十八日號云) 원주是以貫鐵洞設一商店, 名曰怡昌洋行, 新義州又設染織曾社, 內外聯絡, 以立其財源, 爲後日地, 竟失敗, 年二十佐鎭欲一往滿洲, 與有志靑年結秘密一社, 擧義養兵以爲討復, 而無資金不可得, 時族人金鍾根敦義洞, 是鉅富也, 隆熙二年戊申, 佐鎭將募金遂被逮, 由是各社會起센세이䄋, 又統監府機關紙每日報, 特書兩班强盜四字以攻駁之, 初被逮, 警官將縛之, 佐鎭笑謂曰, 雖不縛, 吾非走
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者, 乃一力之, 縛繩俱絶, 警吏大驚, 遂不縛以送, 至公判言渡三年, 佐鎭方在西監服役, 日以雙手各擧一石米, 其搬之易一石者, 有看守一人見其力大, 遂感嘆不已, 及佐鎭得釋, 看守來佐鎭曰, 從此願從公揮下, 投看守而歸, 佐鎭常待人, 雖下丁不用謾語以忽之, 初削髮, 人皆顧避而佐鎭無忌先削, 見門內有寡居則每勸改嫁, 性跅弛, 平日所爲, 種種不繩墨, 是以親戚鄕黨皆疾之曰, 此汚門戶漢, 一不遇之, 由是佐鎭不敢足跡鄕里, 亦不顧, 往京城遂貰屋居之, 佐鎭又入光復團, 與同志諸人殺全國富戶十二人, 後又殺仁同張承遠, 是以朴尙鎭·金漢鎭被逮死大邱, 禹利見·蔡基斗死西監, 而佐鎭遂逸走滿洲, 仍作歌曰, 歌仍墨段 원주至今間島學生皆唱此歌, 時同胞在滿洲者, 無慮數百萬人, 佐鎭放浪東西, 糾合同志, 將欲有爲, 惟尹浚·李相龍等已據滿洲, 運動軍事, 先執牛耳爾, 己未三一獨立萬歲起, 海之內外, 其執暴火, 於是佐鎭尹浚等設軍政司, 庚午正月二十日以下幾號皆墨版 원주壬戌癸亥間, 佐鎭爲獨立軍總大將, 與其各團體代表至上海, 開國民大會曰, 每年三月一日, 乃獨立運動紀念之日也, 組破壞暗殺六隊, 欲入朝鮮擧事, 第一隊俄羅斯區正所員, 第二隊朝鮮靑林黨, 第三隊北京正兒團, 第四隊間島龍井村正兒團, 第五隊朝鮮高麗革命黨, 第六隊北京光復團, 時金若山·金國彬·徐曰甫·韓震山·黃鶴秀方在北京, 亦相與協力, 於是佐鎭向某國人, 售入器, 初佐鎭有一男曰斗漢, 辛酉斗漢年六, 其母金桂月斗漢, 往滿洲海林牧丹江, 父子始相見, 桂月者乃漢城名妓也, 初佐鎭桂月生子斗漢, 桂月滿洲, 其母
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偶病, 與其母將欲歸國, 佐鎭斗漢將置此敎育, 方來爲可人, 不欲出送, 桂月曰, 吾不可離此兒, 遂將歸, 佐鎭父子又相離, 先是佐鎭吉林, 爲軍務署督辨, 俄陞北滿軍政署總司令, 至是在新民府軍事委員長, 庚午正月二十四日, 爲部下金一星所害, 時年四十二, 初有金一星者, 自咸南洪原海蔘威, 見金佐鎭請爲軍人, 佐鎭遂許之, 是時佐鎭山市站精米所, 見其機械有故障, 看立移時, 一星自背後射拳銃, 中背胸殺之, 遂亡去, 及葬同志九十五人, 會中東線山市驛議社會葬, 初佐鎭有六十老母及夫人, 又有一女, 皆至吉林居焉。
金佐鎭, 曾以世家雲來, 生國之末葉, 未得出身, 不霑寸祿, 而嘗有忠孝大節, 至是見宗祊不祀, 不勝其忿慨, 決然去故國, 西至滿洲, 糾合義旅, 以爲欲討賊復讎, 又以爲大韓獨立, 師未一出, 不幸誤死, 寧不悲哉, 爲人跅弛, 平日所爲, 未嘗無一二不繩墨, 而此不過杞梓寸杇, 良工豈棄也, 工甫詩曰, 出師未捷身先死, 長使英雄淚滿襟, 余是草莾陳人, 雖非英雄, 而尙有其淚, 將欲爲佐鎭一灑。