聽取書(尹公欽)
右者昭和九年八月二日定州警察署ニ於テ左ノ通リ任意供述ヲ爲シタリ.
    一, 私ハ位記·勳章·年金·恩給ヲ有セス又公職ニモアリマセヌ.
    一, 是迄テ刑事處分·起訴猶豫·訓戒放免ヲ受ケタコトモナク前科モアリマセヌ.
玆ニ於テ供述ノ趣旨ヲ明瞭ナラシムル爲メ左ノ問答ヲ爲ス.

經歷ハ如何.

私ハ大正二年五月十八日本籍地ニ於テ出生シ, 十六歲ノ三月嘉山公普六年ヲ卒業シ, 同年四月京城第一公立高普ニ入學シマシタガ, 第三學年ノ冬中途退學シ, 昭和六年四月東京ニ渡航シ, 日本飛行學校正科ニ入學シ, 同年六月同校ヲ卒業シ, 一但本籍地ニ歸リマシタガ, 同年八月再渡航シ, 日本飛行學校操縱科ニ這入リ同年九月カラ翌昭和七年五月迄テ操縱ヲ練習シ, 二等飛行士ノ免狀ヲ受ケ, 同年七月六日鄕土訪問飛行ノ爲メ東京ヲ出發シマシタガ, 同日廣島ニ於テ墜落シ, 失敗ニ終ッタノテ京城ニ歸リ, 淸進洞ノ韓昌旅館テ一ケ月位滯在ノ上昭和七年八月二十日頃三度目東京ニ渡航シ, 日本飛行學校ニ入リ操縱ノ練習ヲ積ミ, 昭和八年三月京城ニ歸リ, 京城府嘉會洞三十三番地ノ十三號(當時樂園洞番地不詳)居住ノ金健億方ニ滯在シ, 東亞日報編輯局長タリシ李光洙及七九聯隊李應俊小佐ノ紹介ヲ得テ渡滿シ, 昭和八年四月上旬李光洙ノ紹介狀ヲ持ッテ在新京滿洲國顧問宇佐美某ノ秘書神尾某及尹相弼少佐並ニ在奉天羅景錫ニ李應俊ノ紹介狀ヲ以テ尹相弼小佐及在新京兵站司令部ノ志波少佐ト會見シ, 就職運動ヲシタルモ不成功ニ終リ, 奉天平通リ三ノ京和旅館滯在中同宿中ノ黃崇燁ノ紹介ヲ得テ昭和八年七·八月頃上海ニ行キ東亞日報社特派員申彦俊當三十年位ナル者ト逢ヒ, 佛蘭西租界某旅館ニ滯在シ, 就職運動ヲシマシタガ, 之レモ亦意ノ如クナラス, 或日佛蘭西租界附近ヲ散步シテ居リマシタ處, 自稱李寬ナル者ト街頭ニ於テ邂逅シ, 就職運動ノコトヲ依賴シタル處, 李寬ハ之レヲ承諾シ, 同年八月上旬頃, 南京市內福來旅館ニ案內セラレ, 王現芝當三十歲位ナル義烈團員ニ紹介セラレ, 其後王ノ勸誘ニ依リ昭和八年八月末頃, 革命幹部學校ニ入學スルコトトナリマシタ.

家族ノ狀況並ニ生活程度ハ如何.

家族ハ祖父尹鏞燦·父尹永和·母金永道, 妹·私ノ五人暮テ, 家族ハ圓滿テアリマスガ, 私ノ學資金ノ爲メニ破産ノ狀態トナリ, 父ハ他人ト共同テ穀物商ヲ經營シ, 辛シテ生活シテ居リマス.

宗敎ヲ信スルヤ.

信シマセヌ.

入學カラ卒業迄テノ狀況ハ如何.

定州署員ニ供述セル通リ昭和八年九月十六日頃開校シ, 各種ノ科目ヲ敎授セラレ, 昭和九年四月中旬頃, 革命幹部學校ヲ卒業シ, 五月上旬頃迄テ學校ニ居リマシタガ, 五月五日ニ同地ヲ出發シテ入鮮シマシタ.

入鮮ニ對スル使命ヲ受ケタル狀況ハ如何.

昭和九年五月四日頃, 校長金元鳳及石井敎官ヨリ
    1, 「テロ」手段ニ依リ朝鮮民族ノ解放ヲ期スコト.
    2, 日蘇開戰ヲ契機トシテ朝鮮革命軍ヲ組織スルコト.
    3, 組織ハ軍事的ニスルコト.
    4, 組織ハ十八歲以上ノ優良分子ヲ以テ構成分子トシ, 三三制ニスルコト, 有力ナル同志ハ戰進隊ナル共産主義的ノ組織ヲスルヲ原則トスルモ無意識分子ハ義烈團ナル民族團體ニ編入スルコト.
    5, 同志ノ獲得ニハ愼重ニスルコト.
    6, 義務金ヲ每月十錢宛ツ徵スルコト.
    7, 理由ナク活動セサルモノ及義務金滯納シ警告スルモ猶不履行ノモノハ排除スルコト.
    8, 有事際ハ中央部ニ於テ動員スルコト.
    9, 組織段階ニ於テハ區ニ於テハ一ケ月一回, 地方部ハ一ケ月乃至二ケ月ニ一回宛ツ會合ヲ持ツコト.
    10, 集會ハ責任者ノミ會合シ敏速機敏ニスルコト.
    11, 武器彈藥ハ組織ヲ持チタル後ニ本部ヨリ輸送スルモ必要ニ應シテ旣ニ敎示セラレタル方法ニ依リ自カラ製造スルコト.
    12, 官公署ノ襲擊ハ拳銃·手榴彈·爆彈·唐辛粉ヲ使用スルコト.
    13, 通信ノ方法ハフェノ―ルフタ―ル使用ニ依ルモノト隔字式ニ依ル秘密通信方法ニ依リ華北大學楊總務長, 金衍蕃宛ニスルコト.
    14, 反動分子ハ暗殺スルコト.
    15, 飛行機ノ拂下ヲ受ケ有事ノ際ニハ「ビラ」撤布, 爆彈投下ニ使用スルコト.
    16, 軍部ノ秘密(機密)ヲ探リ報告スルコト.
    17, 京城ニ於テハ六月十九日午前十時府立圖書館鍾路分館ニ於テ連絡員ト連絡スルコト.
連絡方法ハ白ハンカチヲ兩手テ握リ汗ヲ拭クガ如クシ居ルコト.
等ヲ指令セラレマシタ.

京城ニ於テ裵成龍ト連絡スヘク指令セラレタルコトナキヤ.

左樣ノコトハアリマセヌ.
前述ノ指令ヲ受ケルヨリ少少前ノコト. 石井(石正)ノ話ニ依リマスト現在朝鮮內ノ運動工作ハ金丹冶ノ下ニ呂運亨一派及中央日報社ノ裵成龍カ活動シ, 裵成龍ハ京城責任者トナッテ居ル等ノ話ハ聞イテ居リマシタガ, 裵成龍ト連絡セヨト云ハレタコレハアリマセヌ.
又朝鮮ニハ李東輝一派ノ活動モアリ, 京城·奉天以外ニハ裵成龍ノ下ニ赤色勞動組合カ組織セラレテ居リ, 平壤テハ李宅及宋奉禹カ活動シテ居リ, 其他釜山·新義州·咸興·興南等ニモ組織活動カアルトノコトハ聞イテ居リマシタ.

入鮮シタ狀況ヲ述ヘヨ.

昭和九年五月五日頃私ト王衛國コト吳龍成ハ金元鳳ト陳友一(李昌河ノコト)ノ案內ニ依リ南京ノ福來旅館附近ノ或旅館ニ同宿シ, 金元鳳ヨリ重ネテ運動上ノ注意ヲ受ケテ, 旅費大洋九十七円ヲ受ケ, 二泊ノ後五月七日頃南京ヲ出發シ, 天津ニ於テ吳ト別レ, 私獨リテ山海關ヲ經テ新京ニ這入リ, 關東軍司令部ノ島田中佐ニ面會シテ平壤飛行聯隊ノ管原中佐ト京城ノ佐藤航空官宛テノ紹介狀ヲ得テ昭和九年五月十二·三日頃平壤ニ歸リ飛行聯隊長ト逢ッテ飛行機拂下ケノ交涉ヲシタ處, 京城ノ佐藤航空官ト交涉セヨト云ハレタノテ同日入城シ, 府內貫鐵洞信行旅館ヲ宿所トシ, 二·三日後ニ北京華北大學ノ楊總務部長及金衍蕃宛ニ無事到着セル旨通信シ, 直チニ宿所ヲ府內慶雲洞三十八番地ニ移リ, 約一週間後ニ(五月二十日頃)京畿道警察部ノ三輪和三郞警部ヲ訪問シタガ, 同氏ハ忠南ニ轉勤シタ爲メ面會シ得ス. 其ノ翌日左藤航空官ト逢ッテ飛行機ノ拂下ノ交涉ヲシマシタガ, 飛行場許否ノ問題ガ關聯スルカラ直チニハ應シ難シト拒絶セラレマシタノテ昭和九年五月二十五日·六日頃, 飛行士免狀再下附願ヲ提出シマシタ處, 結局六月二十二日頃ニ下附セラレマシタ.
其間六月上旬頃, 前述ノ金衍蕃宛ニ飛行士免狀再下附申請中ナルコトヲ通信シ, 又六月十九日午前十時頃金元鳳及石井ノ指令ノ通リ府立圖書館ノ鍾路分館テ京城ノ連絡者ト逢ヒマシタ.

圖書館テ連絡シタ狀況ヲ詳シク述ヘヨ.

定メラレタ時刻ニ圖書館ノ新聞閱覽室ニ這入ッテ, ハンカチヲ兩手テ握ッテ居ルト一見三十四·五歲ノインテリ風ノ男カ私ニ對シ, 「其間御苦勞テアッタ」ト挨拶セラレタノテ私モ同樣ノ挨拶ヲシ, 先方ノ促ス處ニ依リ門外ニ出マシテ, 自分ハ目下飛行士ノ免狀再下附願ヲ提出中テアル. 又京城ノ運動狀勢ヲ良ク知ラナイカラ指導シテ吳レト云フタ處, 其ノ男ハ私ニ對シ京城ノ狀勢ハ自然ニ判ルコトテアリ, 今後自分カラモ敎ヘテヤル. 此ノ次ニハ六月二十五日午前十時頃, 同一場所テ連絡スルコトニスルト云ハレタノテ承諾シ, 私ガ先ニ別レテ慶雲洞方面ニ向ッテ出ルト先方ノ男ハ再ヒ圖書館ニ這入ッタ樣テアリマシタ.

連絡ニ來タ男ノ人相着衣ハ如何.

人相ハ一見三十四·五歲ノインテリ―風ノ男テアリマシテ身丈五尺六寸位, 色並頭髮ハイカラ·中肉·鬚髥ナク, 齒揃·目鼻口ハ並, 着衣ハ灰色脊廣服ニ白パナマ帽, 黑靴ヲ着用シ, 白ワイシャツニ黑味ヲ帶ヒタネクタイヲ着ケテ居リ, 京城言葉ノ樣テアリマシタ.

此ノ男ハ見覺ヘカアルカ.
此ノ時裵成龍ノ寫眞ヲ示ス.

全ク見タコトガアリマセヌ.

昭和九年六月二十五日ノ連絡狀況ハ如何.

約束ノ通リ同一時刻, 同一場所ニ於テ六月十九日ニ逢ッタ男ト逢ヒ, 圖書館ノ門外ニ出テ私カラ免狀ヲ下附セラレタコトヲ報告シ, 京城ノ運動狀勢ヲ尋ネタ處, 今後話ス機會カアルカラト云フテ六月二十九日午前十時ニ同一場所テ連絡スルコトニシテ別レマシタガ, 六月二十八日私ハ檢擧セラレタノテ次ノ連絡ハ駄目ニナリマシタ.

其間京城ニ於テ立寄ッタ處ハナイカ.

運動ノ爲ニ逢ッタ者ハ他ニアリマセヌガ前述セル金健億並ニ經學院ノ講師金台俊, 朝鮮生命ノ韓東冶, 警務局圖書課ノ金宅源, 醫專ノ硏究生張泰龍, 七八聯隊ノ李應俊少佐等ヲ訪問シタコトハアリマシタ.

其方ハ運動上番號ヲ指定サレタコトハナイカ.

金元鳳カラ二十號ト指定セラレテ居リマシタ.

金用得(容得)ハ京城ノ者カ.

左樣テアリマス.

金用得ノ人相ハ如何.

一見二十四·五歲位テ丈五尺位, 頭髮ハイカラ顔長色黑, 其他並, 學力ハ普通學校卒業程度位テアリ, 着衣ハ在學中ハ軍服ヲ着用シテ居リマシタノテ判明シマセヌ.

元弘武ハ如何ナルモノカ.

丈五尺六寸位, 顔丸, 色並, 頭髮ハハイカラ, 其他並, 京城言葉テアリ, 着衣ハ軍服ノ外ハ判明シマセヌ.

黃薰ハ如何.

一見二十歲位, 丈五尺一·二寸, 顔細長, 頭髮ハイカラ, 其他並, 着衣ハ當時軍服テアリマシタ.

生徒ハインテリガ多カッタカ.

一般ニ普通學校卒業程度ノ者ガ多ク, 中等學校卒業程度ノ者ハ餘リ居リマセヌテシタ.
右本人ニ讀聞カセタルニ相違ナキ旨申立テ署名拇印シタリ.
供述者 尹公欽

작성일  昭和九年八月二日
定州警察署

신문자  京城東大門警察署
司法警察官事務取扱
京畿道巡査 齊賀七郞