문서제목(3) [鎭南浦와 機津浦 中에서 新開港場 擇一의 件]  
문서번호機密第七號  
발신일明治二十八年五月十四日 ( 1895년 05월 14일 )  
발신자一等領事 珍田捨己  
수신자特命全權公使 伯爵 井上馨  
(3) [鎭南浦와 機津浦 中에서 新開港場 擇一의 件]
機密第七號
平安道鎭南浦及棋津浦兩地ノ內ニ就キ新開港場設定可相成御見込ニテ豫メ御調査相成居リ候趣之處仍ホ水路船舶ノ航行竝ニ碇泊等ニ關スル便否當港郵船商船兩會社員ニ就キ取調ヘ可及御報告旨本月一日付機密第四四號ヲ以テ御申越之次第有之候間內ニ兩會社員ニ對シ相尋候處何レモ鎭南浦之方棋津浦ニ優ルヘシト申居候ヘ共詳細ノ義ハ判明不致候ニ付先年來當國汽船海龍號其他汽船々長トシテ大同江ニ航行シ目下仍ホ海龍號船長タル本邦人谷本槌太郞ニ就キ尋ネタルニ左ノ如ク致陳述候
    一. 棋津浦ハ鎭南浦ヲ距ル大凡ソ十七八哩ノ上流ニ在ルモ此間ノ江流ハ殆ント同一ノ深度ヲ保チ容易ニ三千噸以內ノ船舶ヲ入ルヽニ足ルヲ以テ進航船舶ノ喫水量ヨリ云フトキハ兩浦中毫モ優劣アルヲ見ス
    一. 棋津浦鎭南浦トモ二十艘內外ノ船舶ハ碇泊シ得ヘシト雖共棋津浦ニ於ケル江幅ハ鎭南浦ニ比シ稍ヤ狹小ナルニヨリ鎭南浦ノ如キ便ヲ見ス
    一. 鎭南浦前面ノ深サハ十六七尋ニシテ船舶ノ碇繫ニ便ナラサルカ故ニ從來航行セル船舶ハ同地ト接續スル南浦渡ト稱スル地ノ前面ニ碇舶セリ同所ハ深サ七尋乃至十尋ニシテ船舶ノ碇舶ニ尤モ便利ナルノミナラス陸地ニ接近シテ碇泊スルヲ得ルヲ以テ貨物ノ積卸上甚タ便ナリトス而シテ其ノ南浦渡ト稱スル地ハ鎭南浦ヲ去ル僅ニ四町餘ニシテ其間小丘アリト雖トモ之ヲ平坦ナラシムルハ容易之業ニシテ却テ市街ヲ形成シ得ヘキ地區ヲ生スルノ利アリ然ルニ棋津浦ニアリテハ陸地ヲ去ル五六町ノ場所ニアラサレハ碇泊スル能ハス且ツ艀船ノ往復困難ナル事情アルノミナラス淺洲ノ埋立ヲナシ又ハ棧橋ヲ設クルニアラサレハ貨物ノ積卸容易ナラズ.
    一. 鎭南浦ニ於ケル潮流ノ速力ハ二哩內外ニ過キサルヲ以テ船舶ノ碇泊及艀船ノ往復ニ支障ヲ感セサルモ棋津浦ニ於テハ滿潮四哩干潮五哩强ナルカ故ニ艀船ノ往復甚タ困難ニシテ干潮ノ際ハ絶エス小蒸汽船ヲ便用セサルヲ得サルノミナラス時トシテハ小蒸汽船ト雖トモ往復ニ難キコトナキニアラスシテ貨物ノ積卸ニ時間ト勞力トヲ要スル甚シク其不便實ニ云フヘカラス.
    一. 冬期間ハ氷結ノ爲メ棋津浦ニ於テハ通例十一月下旬ヨリ翌年四月初旬迄鎭南浦ニ於テハ十二月初旬ヨリ翌年三月下旬迄航行スル能ハス棋津浦ト鎭南浦トハ其休航時日ニ於テ前後一ケ月ノ差アリ.
    一. 船用水ハ棋津浦鎭南浦共ニ充分ナラス其量稍々同一ナリ.
    一. 鎭南浦棋津浦共ニ潮ノ干滿同一ニシテ何レモ十八九呎ノ差異アリ.
    一. 棋津浦ニ於テハ風ノ爲メ妨ヲ受クル事殆ントアラサルモ鎭南浦ニ於テハ時トシテ西風烈シキコトアルカ爲メ多少ノ妨害ヲ受クルコトアリ然レトモ未タ曾テ其甚敷コトアリシヲ聞カス.
    一. 鎭南浦ヨリ棋津浦ニ達スル航路中鐵島前面卽チ大同江ノ北折スル處ニ於テハ潮勢最モ急激ニシテ其順逆如何ニ因リテハ汽力充分ナル汽船ト雖トモ進航上頗ル困難ヲ感スルコトアリ因ニ云フ黃海道北部載寧河附近ノ地方ニ於テ産出スル穀類其他貨物ハ沿岸各地ニ於テ韓船ニ搭載シテ順流大同江ニ配出スルノ習慣ナリ然ルニ載寧河口ヨリ鎭南浦ニ達スル航路ハ潮勢比較的ニ輕緩ナルニ反シ棋津浦ニ至ルノ航路ハ前記鐵島近傍ノ激潮ニ逢フカ爲兩航路ノ難易決シテ同曰ノ談ニアラス.
右谷本海龍號船長ノ陳述ニ依レハ船舶航行上及ヒ碇泊上ノ便否ニ就テハ鎭南浦ノ方棋津浦ニ比シ遙カニ便ナルカ如シ又白川丸船長ニ就キ尋ネタルニ同船長ノ陳述モ谷本船長ノ陳述ト稍ヤ同樣ニ有之候間右ニ就キ可然御詮議相成度此段御回答得貴意候敬具.
明治二十八年五月十四日
一等領事 珍田捨己
特命全權公使 伯爵 井上馨 殿