八月

副使金晩植    從事官徐光範    金玉均同行    隨員柳赫魯    辦理公使花房義質의接見    閔泳翊    赤馬關    對馬島    風月樓宴會    神戶    兵庫縣令森岡昌純의招待    我國民氣의柔懦    新制國旗    森岡昌純    鑛物開發의勸告    英領事, 比利時代理來見    ··領事回謝    狀啓   

初一日,詣闕膺命, 上引見切諭, 恩旨感激, 仰全權副官修信副使金承旨晩植·從事官徐注書光範, 一時辭陛, 申刻奉國書及禮幣, 出崇禮門, 知舊咸出郊贈言, 難禁去國之悰, 金校理玉均 원주亦於是役, 奉上密諭, 同向日本東京, 大慰飮氷之懷也, 酉刻, 從行人及隨員柳赫魯·朴齊絅·李福煥·金裕定·邊燧·邊錫胤·金龍鉉·從者金鳳均·曺漢承·朴永俊, 一齊登程, 亥刻, 抵富平石川五十里, 訪戚人徐氏相寔宅, 點心小憩。 初九日,晴, 寅正發程, 辰刻抵仁川濟物浦三十里, 日本兵壘, 尙未盡撤, 辦理公使花房義質接見, 卽有幹往南陽海岸, 約以晩天晤會于南洋而去, 少頃, 花島別將, 供午飯, 飯訖, 高雄謙三, 請上舢板船, 修上發程狀啓, 齊向日本船, 船名明治丸也, 登舵樓, 閔參判泳翊 원주已到船中, 欣握, 船製靈妙莊嚴, 船長饋西洋料理, 未正擧錨, 酉初, 到南洋前洋五里下碇, 開信砲一聲, 所以待花
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公使也, 狀啓原文。 初十日, 微雨, 卯刻, 花房公使, 乘汽船來會, 卯正, 啓輪, 回望漢上諸山, 有若顰翠送人, 盡日風靜波恬, 如行鏡中, 不知涉海之勞矣。 十一日, 晴, 午後風緊, 一行多有嘔吐者。 十二日,晴, 寅正抵赤馬關, 是長門洲界也, 自仁川濟物浦馬關, 合爲二百六十里。日本十里爲朝鮮八十里假量 원주仁川, 針指午位, 一直至務安獨島, 又自獨島, 差向卯位, 船行興陽·濟州之間, 復又歷對馬島而至馬關, 山川秀媚, 有舟楫樓觀之勝, 與諸行人及花房公使上岸, 乘人力車, 入風月樓歇下, 主人供午饌, 甚精潔, 樓在岸腰, 前臨平湖, 下瞰萬井, 管絃梵唄, 相和於煙雲竹樹之間, 俗尙好設層樓複閣, 藤床竹簟, 潔無纖塵, 奇卉異葩, 曲磵假山, 位置天然, 洵可愛也, 更觀傍樓, 有冶遊郞, 招妓傳觴, 拖長裾·束廣綬·凝䯻雲·抵鬢影, 飄然若霓裳羽衣之舞, 抱三絃琴, 彈以牙撥, 音似伽倻古典, 唱歌數闋, 淸越可聽, 酉刻, 赤間關區長遠藤貞一郞, 邀花房公使及本使於公苑, 設燈戲, 民家各懸國旗, 岸上波心, 齊放紅日燈, 如萬里燦熳, 開祝礮十餘聲, 所以賀兩國行成之意也, 海軍少將仁禮景範·水軍諸將佐齊至, 勞余及花房公使, 酒進, 藝妓數十, 拂絃度曲, 曳裾呈舞, 有遊龍驚鴻之態, 宴撤, 歸風月樓, 雨下如注, 促歸船上, 夜已十時矣。 十三日, 晴, 卯正擧錨, 船行兩峽之間, 北狹周防·安藝·備後·備中·播磨·備前六州界, 南狹豐
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前·伊豫·讚岐三州界, 島嶼點綴波面, 嵐翠襲人, 樓臺璀璨, 湖山濃淡, 極應接不暇之勝。 十四日,晴, 寅正抵神戶, 是兵庫縣也, 澹路州兵庫門戶, 開港以神戶名焉, 自馬關神戶爲一百一十里。日本里 원주馬關, 雄闊壯麗, 不啻倍簁, 得背山控海之勢, 辰刻, 乘小輪船下陸, 到西村屋歇下, 登樓憑眺, 撲地閭閻, 西勢居多, 裙影屐聲, 古雅翩翩, 殆怡人目而滌旅懷也, 少頃, 兵庫縣令森岡昌純來見, 話罷, 縣令傳語官曰, 弊縣, 今夕爲花房公使, 設小酌, 貴大人, 如無公務第圖邀屈, 與同兩國之歡云, 因辭去, 酉刻, 縣令果邀請, 余與副使, 有病未趁, 從事官徐緯山(光範) 편자주 ·隨員柳赫魯·金裕定·邊錫胤赴會, 以謝主人速客之意, 戌刻, 觀燈戲而還, 具言花房公使之母夫人, 來參宴會, 年可七十餘云, 蓋神戶民人, 賀兩國行成之喜也, 通宵放燈, 大設槍戲, 士女熱鬧雜踏, 不料此中有如此繁華靈淑風氣也, 凝眸憮然者久矣。○曩日, 日本動兵之際, 擊劍之徒, 稱以義兵, 不日而聚至萬餘, 鳩金出餉, 一戰爲榮, 以日廷不許, 皆怏怏而散云, 聞之寒心, 觀我邦民氣柔懦, 未曾見敵愾之風, 深有愧焉。○新製國旗懸寓樓, 旗竿白質而縱方, 長不及廣五分之二, 主心畵太極, 塡以靑紅, 四隅畵乾坤坎离四卦, 曾有受命於上也。 十五日,晴, 未刻, 偕副使(金晩植), 편자주 往見森岡昌純于其家, 茶罷, 昌純曰, 俺本薩州人也, 薩人素稱勁悍, 民論固執鎖港, 俺亦主論中一人也, 世務日變, 政裁超新, 昔日嫉視之西人, 豈料肘腋之逼處, 朝夕之與俱, 而維新, 將近二十稔, 民志尙患梗滯, 如貴國向日之擾, 固是料中事也, 願貴國鑑於
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弊邦, 務使有條理, 不可因噎廢食, 且曰, 貴國現經理不敷, 不得不大開礦務, 而亦須知其未得良法, 則每見求益反損之道也, 娓娓數百言, 井井有據, 披露無隱, 可知有心人也, 移時歸寓樓。○戌刻, 聞花房公使, 坐明治丸向橫濱, 先遣柳赫魯·金龍鉉·金錫胤·李福煥及生徒朴容宏·朴命和·從者曺溪承, 往橫濱等候。 十六日,晴, 美國領事官阿須敦, 比利時代理來見。 十七日, 晴, 英國領事官來見。 十八日, 微陰, 德國領事官來見, 英領事官·同妻致函請晤。二十日晩餐 원주十九日,雨, 訪··領事官, 幷回謝。 二十日, 雨, 夕偕副使(金晩植) 편자주 ·從事官(徐光範) 편자주 ·古愚(金玉均), 편자주 英領事官晤話。 二十一日, 晴, 偕副使往寫眞館照影。○未刻訪比利時領事官回謝。○兵庫縣令英領事官來見。 二十二日,晴, 往別英領事官。○午刻偕副使古愚於溫井浴室。○觀瀑布。○釜山船便修上狀啓。

國旗新製   

折衝將軍行龍驤衛副護軍全權副官修信副使臣 원주金晩植上輔國崇祿大夫特命全權大臣兼修信使臣 원주朴泳孝, 本月初九日巽時量。自仁川府濟物浦, 發船之由, 已爲登聞爲白有在果, 當日留碇, 止宿于南陽外洋是白如可, 翌朝行船, 至十二日巳時量, 到日本赤馬關下碇, 臣
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等一行, 下陸少憩, 戌時量, 復啓輪, 十四日卯時量, 至神戶下陸, 仍爲止宿于店舍, 待汽船來到, 發向東京計料爲白乎旀, 本國國旗新製事, 旣有處分, 故今已造就大中小旗三本, 而其小旗一本, 上送緣由, 馳啓爲白臥乎事, 是良爾詮次, 善啓向敎是事。

東萊府使에關文   

開國四百九十一年壬午八月二十二日午時。
特命全權大臣兼修信使朴泳孝爲相彦事, 今有時急啓聞事, 修啓以送, 而啓本一度幷機務處所去, 書簡一封, 信付于船便, 到卽星火迅撥, 罔夜馳上, 毋或遲誤爲旀, 機務處回信, 到卽定伶俐通事, 覓船便來納于日本東京本大臣所駐館宜當向事, 合行移關請。
右關
東萊府使
開國四百九十一年壬午八月二十二日准此。
特命全權大臣朴泳孝
機務處

機務處    太極旗의由來   

國旗標式, 在明治丸中, 與英領事阿須敦議到, 則伊言該船船長英人, 周行四海, 慣識各國旗號, 又各色分別遠近異同, 均能洞知云, 故與之商議, 則太極八卦之式特別出色, 然八卦分布, 頗覺稠雜不明, 且於各國之仿製, 甚不便易, 只用四卦, 劃之四角, 則更佳云, 又言外
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國國旗外, 必有君主之旗標, 蓋仿樣於國旗, 而設采設紋, 繁鮮最好云, 國旗大中小各一本, 使該船長裁製, 小一本, 今修啓上送主上, 旗號, 太極中居, 八卦拱布于旗之邊幅恐好, 質則專用紅色, 似屬鮮明也, 旣與各國通好之後, 凡出使者, 禮不得無國旗, 爲遇有各港口各兵艦, 載礮六門以上者, 則必有祝礮以禮待之, 伊時當揭該國使臣國旗而別之, 又遇有約各國各等慶節, 有懸旗相賀之禮, 各國公使相會, 以國旗表坐次, 均此各件, 闕不得製帶國旗, 而英·美·德·日各國均請仿畵而去, 此係布明於天下者也, 詳細上達, 爲仰。

神戶   

乘明治丸, 到赤馬關該處官民, 賀兩國和議更成, 說燈綵于公苑, 大開宴席而邀之, 故赴會, 士商官民, 雜遝幷臻, 替手杯酌, 賀語津津, 其國俗, 頗有可觀, 夜闌對岸, 槍戲大作, 彌空遍海, 盡是錦繡, 亦足以暢快夜眺, 及到神戶, 其人戶之繁, 商旅之盛, 十倍於馬關, 而又有慶賀會, 適患眩未赴耳, 明治丸, 再昨駛還東京, 爲一行, 多患水疾, 姑住幾日, 以俟飛脚船便, 而外務卿井上馨, 來留於此, 可同船向東京云, 其言之勤勤, 略有另錄, 望諸公深商而明白稟達, 速有回音焉。
井上馨談抄

井上馨과會談    稅則에關한節目   

井上馨問, 貴大臣全權, 係是何事, 以兩件事答之, 伊又言, 我朝廷向來專爲稅則一事, 使花房公使到貴京辦理, 事未告竣, 貴國變亂起, 固屬兩國不幸, 而今和局更成, 貴主上特命全
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權到此, 此誠兩國人民之攢手, 天下萬國之延頸之待者也, 今全權之只有塡補·換約二件, 實屬貽笑天下, 且稅則一款, 是貴國最急務也, 據花房所言, 大節均已歸正, 小目亦有就緖云, 今貴大臣之來, 若又不能證定, 則非獨爲貴國吃虧不少, 日本政府之取謗於天下久矣, 蓋貴國之持疑不決者, 以爲收稅之事, 未能洞察利害, 而恐被日本之見欺而已也, 假使弊國, 眞有此不公之意, 爲貴國又有失之者多矣, 爲不慣於稅事, 見虧於人, 通商幾年, 未收一角之稅, 其利害又何居, 且欲洞識稅關一事, 亟宜定稅照收, 以增閱歷而得實驗也, 此所以敝國數十年來, 今如覺得其利害原委, 方擬改約于各國者也, 其所謂征稅一節, 雖西人之博學多識者, 如未經海關之任, 終不明知其利害, 況貴國未曾與各國通商者乎, 今有一言可以衷告者, 望貴大臣, 急卽報達于貴朝廷, 日本國外務卿井上馨者, 言稅則之大節目, 一依貴國與歐米三國定額爲準, 至於細目, 亦番公平妥議, 期速征收, 以補經用之萬一, 此誠日本政府之公議也, 唯改稅約年限, 促期議定, 則施行之利弊, 亦可隨時而矯整, 又如貴國與各國定稅後, 日本約款, 有未平允之案件, 亦任貴國更議而革之, 愚衷所論, 一至於此, 而貴朝廷猶有不決, 亦未敢知也云云, 反復申申, 殆不可盡記, 而旣有彼言之如此, 不可無據實仰報, 玆具略錄, 望須諸公, 深商稟定, 如以及今照定爲重, 則須卽商確大小, 幷原約案, 付之來府爲可, 又若有仁港船便之速來者, 順付亦可, 只貴火速妥議而回敎耳。
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西京    大阪砲兵工廠視察    造幣局    寫眞撮影    井上馨東京丸同乘   

二十三日,晴, 辰正, 乘汽車, 自神戶向大津, 還過西京, 西京府知事, 送一等屬官, 迎接支供。 二十四日, 陰, 周覽西京諸處。 二十五日,雨, 回路到大阪, 大阪府知事·遣少書記官及一等屬官, 迎接支供, 觀製銅·製器等廠及砲兵工廠。 二十六日,陰, 往陣臺, 觀鍊兵, 又玩造幣局, 還至淸華樓, 金校理(晩植), 편자주 (光範) 편자주 從事官來到, 午後五時, 自大阪還至神戶, 兵庫縣令送馬車至鐵道場。 二十七日, 晴, 偕副使金校理, 徐從事官, 往寫眞局照影。 二十八日, 晴, 往別兵庫縣令, 不遇。 二十九日,朝晴晩陰, 兵庫縣令來別, ○午後一時一行出茅渟, 乘東京明論飛脚 원주井上馨與俱, 八時擧錨, 微有風濤, 比曉雨灑, 風浪大作, 不得行船, 入由浪浦囗, 下碇。 三十日, 朝雨晩晴, 風勢一向, 未得行船, 與井上馨相見。