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고려시대 금석문·문자자료 > 전체 > 서균묘지명
고려시대 금석문·문자자료 > 묘지명·묵서명 | 墓誌銘·墨書銘 > 서균묘지명
자료일람 기본정보
시대고려시대크기세로 23.5cm, 가로 49.5cm, 글자크기 1.5cm
연대1132년(인종 10년, 금(金) 태종(太宗) 천회(天會) 10년)출토지
소재지(한국)국립중앙박물관-서울특별시 용산구 서빙고로 137 국립중앙박물관유형묘지명(墓誌銘)·묵서명(墨書銘)
재질서체해서(楷書)
찬자/서자/각자미상(未詳) / 미상(未詳) / 미상(未詳)참고자료국립문화재연구소 문화유산 연구지식포털
개요
서균(徐鈞 : 1060~1132)은 이천군(利川郡) 사람으로 조부 유걸(維傑)은 좌복야(左僕射)이고, 아버지 정(靖)은 평장사(平章事)이며, 어머니 김씨(金氏)는 평장사 원정(元鼎)의 딸이다. 성종(成宗) 대에 거란(契丹)의 침입을 담판으로 물리친 장위공(章威公) 서희(徐熙) 장군이 그의 증조부가 된다. 서희의 후손 중에는 그 음덕으로 경상(卿相)이 된 사람이 여러 명 있는데 그도 그 중의 한 사람이다.
일찍이 흥례(興禮 : 지금의 울산광역시)와 중원(中原 : 지금의 충청북도 충주시)에 수령으로 나갔을 때 관대하고 공평·청렴하여 칭송을 받았다. 그의 벼슬은 경(卿)과 감(監)에 지나지 않아 조산대부 판장작감사(朝散大夫 判將作監事)로 벼슬에서 물러나 불교를 믿으며 편안히 여생을 보냈다. 1132년(인종 10)에 춘추 73세로 병이 없이 돌아가시니, 11월 3일에 백악산(白岳山) 기슭에 안장하였다. 시호는 복양공(濮陽公)이다.
공은 급사중(給事中) 이당감(李唐鑑)의 딸과 결혼하여 6남 4녀를 두었다. 자녀들의 이름은 순서대로 뒷면에 기록하고 있다.

(앞면)
[01] ▨ 校勘 001001 ▨ 『집성』 54쪽 [高].닫기[麗] 校勘 002002 [麗] 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 麗.닫기國卒朝散大夫判[将] 校勘 003003 [将] 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 將.닫기作監事致仕濮陽公
[02] ▨ 校勘 004004 ▨ 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 徐.닫기鈞其先利川郡人大宋淳化三年成宗即 校勘 005005 即 『총람』 334쪽, 『전문』 603쪽 卽.닫기
[03] 之十二年契丹伐 校勘 006006 伐 『전문』 603쪽 代.닫기我入北[鄙] 校勘 007007 [鄙] 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 鄙.닫기上幸安北将割地以岊
[04] ▨ 校勘 008008 ▨ 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 嶺.닫기為䦕 校勘 009009 䦕 『총람』 334쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 關.닫기公之曽 校勘 010010 曽 『총람』 334쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 曾.닫기祖中書令章威公 校勘 011011 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 曦.닫기獨[發] 校勘 012012 [發] 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 發.닫기[憤] 校勘 013013 [憤] 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 憤.닫기
[05] ▨力排其議方一戰自決未幾虜折 校勘 014014 折 『해동』 713쪽 析.닫기簡召元帥
[06] ▨[亡] 校勘 015015 [亡] 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 ▨.닫기難之左右無可行者公慷慨義形於色因請
[07] [行] 校勘 016016 [行] 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 行.닫기奏曰臣往則彼必 校勘 017017 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 退.닫기矣無勞聖情乃以孑然一身
[08] 冒賊百万 校勘 018018 万 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 萬.닫기圍中與虜帥 校勘 019019 帥 『전문』 604쪽 師.닫기抗衡不屈指陳[大] 校勘 020020 [大] 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽 大, 『집성』 54쪽 人.닫기義虜
[09] 為之喪 校勘 021021 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 膽.닫기而遁國家至今全有西[北] 校勘 022022 [北] 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 北.닫기千万 校勘 023023 万 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 萬.닫기里地賴其
[10] 力也故家世皆以強 校勘 024024 強 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 强.닫기䕃取卿相 校勘 025025 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 數.닫기矣而況公寬
[11] 厚荘 校勘 026026 荘 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 莊.닫기重而有守其中者猶[泰] 校勘 027027 [泰] 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 泰.닫기山莫之能移也甞
[12] 出宰于興礼 校勘 028028 礼 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 禮.닫기中原大率寬平淸簡邑稱其理
[13] 自後國家 校勘 029029 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 數.닫기遣使沙汱 校勘 030030 汱 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 汰.닫기淸濁凢經郡牧者隂相
[14] 投[刺] 校勘 031031 [刺] 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 刺, 『해동』 714쪽, 『집성』 55쪽 剌.닫기獨公自[若] 校勘 032032 [若] 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 若.닫기也以如彼功力之後有如是徳行之實
[15] 位不過卿監世所惜也然猶桑楡之晩樂其退休末 校勘 033033 末 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 未.닫기
[16] 甞有歉然之色而居常樂也內尤信大慈悲藏大金
[17] 天㑹十年壬子春秋七十三無疾而登假 校勘 034034 假 『전문』 604쪽 遐.닫기十一月三日安
[18] 葬于白岳山之麓祖惟傑左僕射考靖平章事
[19] 妣金氏平章事元鼎女也公娶李氏給事中唐鑑
[20] 之女也生男六人生女[四] 校勘 035035 [四] 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 四.닫기人次序名位 校勘 036036 『총람』 335쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 鏤.닫기之于
[21] [背] 校勘 037037 [背] 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 背.닫기[矣] 校勘 038038 [矣] 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 矣.닫기銘曰 徐氏之世 于烈 校勘 039039 烈 『총람』 335쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 列.닫기[有] 校勘 040040 [有] 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 有.닫기
[22] 惟公之偉 大臣之方 [言] 校勘 041041 [言] 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 言.닫기寡行敏
[23] 動靜有常 隂功厚徳 厥後必昌
[24] 誌其髣髴 庶㡬無疆

(뒷면)042042 출처정보출처정보 『고려묘지명, 서균 묘지』(서울대학교 중앙도서관)닫기
[01] 長元成[佛] 校勘 043043 [佛] 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 佛.닫기都監判官次頴觀玄
[02] 化寺▨紫大師次 校勘 044044 次 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 누락.닫기恭[景] 校勘 045045 [景] 『전문』 605쪽 景.닫기[靈] 校勘 046046 [靈] 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 靈.닫기殿[判] 校勘 047047 [判] 『전문』 605쪽 ▨.닫기
[03] [官] 校勘 048048 [官] 『전문』 605쪽 ▨.닫기次▨▨▨ 校勘 049049 ▨▨▨ 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 ▨▨▨▨.닫기同正[次] 校勘 050050 [次] 『전문』 605쪽 ▨, 『집성』 55쪽 次.닫기▨內寺[校] 校勘 051051 [校] 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 授.닫기
[04] 書郞同[正] 校勘 052052 [正] 『전문』 605쪽 知, 『집성』 55쪽 正.닫기 校勘 053053 ▨ 『집성』 55쪽 次.닫기▨春 校勘 054054 春 『전문』 605쪽 ▨.닫기 校勘 055055 坊 『전문』 605쪽 ▨.닫기公子女四人長
[05] [適] 校勘 056056 [適] 『집성』 56쪽 適, 『전문』 605쪽 ▨.닫기[金] 校勘 057057 [金] 『전문』 605쪽 ▨.닫기 校勘 058058 0칸 공격 『전문』 605쪽 1칸 공격.닫기之[西] 校勘 059059 [西] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 西.닫기面[判] 校勘 060060 [判] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 判.닫기[官] 校勘 061061 [官] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 官.닫기[以] 校勘 062062 [以] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨.닫기辛丑冬十
[06] 月 校勘 063063 月 『전문』 605쪽 ▨.닫기[先] 校勘 064064 [先] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 先.닫기公[而] 校勘 065065 [而] 『전문』 605쪽 ▨, 『집성』 56쪽 而.닫기 校勘 066066 ▨ 『집성』 56쪽 死.닫기次[適] 校勘 067067 [適] 『전문』 605쪽 ▨.닫기王毅前試兵
[07] 部郞中次[適] 校勘 068068 [適] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 適.닫기李淑[晨] 校勘 069069 [晨] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 晨.닫기前內侍試
[08] 尙衣直[長] 校勘 070070 [長] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 長.닫기次[適] 校勘 071071 [適] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 適.닫기高陽堅 校勘 072072 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 書.닫기籍店録
[09] 事[孫] 校勘 073073 [孫] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 孫.닫기男九人孫女七人皆幼唯 校勘 074074 唯 『전문』 605쪽 ▨.닫기長女
[10] ▨▨▨ 校勘 075075 ▨▨▨ 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨▨.닫기永▨▨[為] 校勘 076076 [為] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 爲.닫기春坊 校勘 077077 坊 『전문』 605쪽 ▨.닫기[給] 校勘 078078 [給] 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨.닫기使 校勘 079079 使 『전문』 605쪽 ▨.닫기
[11]      天會壬子[冬] 校勘 080080 [冬] 『전문』 606쪽, 『집성』 56쪽 冬.닫기十一月日書


校勘 001
▨ : 『집성』 54쪽 [高].
校勘 002
[麗] : 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 麗.
校勘 003
[将] : 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 將.
校勘 004
▨ : 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 徐.
校勘 005
即 : 『총람』 334쪽, 『전문』 603쪽 卽.
校勘 006
伐 : 『전문』 603쪽 代.
校勘 007
[鄙] : 『총람』 334쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 603쪽, 『집성』 54쪽 鄙.
校勘 008
▨ : 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 嶺.
校勘 009
䦕 : 『총람』 334쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 關.
校勘 010
曽 : 『총람』 334쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 曾.
校勘 011
: 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 曦.
校勘 012
[發] : 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 發.
校勘 013
[憤] : 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 憤.
校勘 014
折 : 『해동』 713쪽 析.
校勘 015
[亡] : 『총람』 335쪽, 『해동』 713쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 ▨.
校勘 016
[行] : 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 行.
校勘 017
: 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 退.
校勘 018
万 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 萬.
校勘 019
帥 : 『전문』 604쪽 師.
校勘 020
[大] : 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽 大, 『집성』 54쪽 人.
校勘 021
: 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 膽.
校勘 022
[北] : 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 北.
校勘 023
万 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 萬.
校勘 024
強 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 强.
校勘 025
: 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 數.
校勘 026
荘 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 莊.
校勘 027
[泰] : 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 54쪽 泰.
校勘 028
礼 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 禮.
校勘 029
: 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 數.
校勘 030
汱 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 汰.
校勘 031
[刺] : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽 刺, 『해동』 714쪽, 『집성』 55쪽 剌.
校勘 032
[若] : 『총람』 335쪽, 『해동』 714쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 若.
校勘 033
末 : 『총람』 335쪽, 『전문』 604쪽, 『집성』 55쪽 未.
校勘 034
假 : 『전문』 604쪽 遐.
校勘 035
[四] : 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 四.
校勘 036
: 『총람』 335쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 鏤.
校勘 037
[背] : 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 背.
校勘 038
[矣] : 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 矣.
校勘 039
烈 : 『총람』 335쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 列.
校勘 040
[有] : 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 有.
校勘 041
[言] : 『총람』 335쪽, 『해동』 715쪽, 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 言.
校勘 043
[佛] : 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 佛.
校勘 044
次 : 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 누락.
校勘 045
[景] : 『전문』 605쪽 景.
校勘 046
[靈] : 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 靈.
校勘 047
[判] : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 048
[官] : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 049
▨▨▨ : 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 ▨▨▨▨.
校勘 050
[次] : 『전문』 605쪽 ▨, 『집성』 55쪽 次.
校勘 051
[校] : 『전문』 605쪽, 『집성』 55쪽 授.
校勘 052
[正] : 『전문』 605쪽 知, 『집성』 55쪽 正.
校勘 053
▨ : 『집성』 55쪽 次.
校勘 054
春 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 055
坊 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 056
[適] : 『집성』 56쪽 適, 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 057
[金] : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 058
0칸 공격 : 『전문』 605쪽 1칸 공격.
校勘 059
[西] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 西.
校勘 060
[判] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 判.
校勘 061
[官] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 官.
校勘 062
[以] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨.
校勘 063
月 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 064
[先] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 先.
校勘 065
[而] : 『전문』 605쪽 ▨, 『집성』 56쪽 而.
校勘 066
▨ : 『집성』 56쪽 死.
校勘 067
[適] : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 068
[適] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 適.
校勘 069
[晨] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 晨.
校勘 070
[長] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 長.
校勘 071
[適] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 適.
校勘 072
: 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 書.
校勘 073
[孫] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 孫.
校勘 074
唯 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 075
▨▨▨ : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨▨.
校勘 076
[為] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 爲.
校勘 077
坊 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 078
[給] : 『전문』 605쪽, 『집성』 56쪽 ▨.
校勘 079
使 : 『전문』 605쪽 ▨.
校勘 080
[冬] : 『전문』 606쪽, 『집성』 56쪽 冬.
註 042
출처정보 : 『고려묘지명, 서균 묘지』(서울대학교 중앙도서관)

(앞면)
高麗國卒朝散大夫判將作監事致仕濮陽公徐鈞, 其先利川郡人.
大宋淳化三年, 成宗卽位之十二年, 契丹伐我, 入北鄙, 上幸安北, 將割地以岊嶺爲關. 公之曾祖中書令章威公曦獨發憤, 揮▨力排其議, 方一戰自決. 未幾, 虜折簡, 召元帥▨亡難之, 左右無可行者. 公慷慨, 義形於色, 因請行, 奏曰, “臣往則彼必退矣, 無勞聖情.” 乃以孑然一身冒賊百萬圍中, 與虜帥抗衡, 不屈指, 陳大義, 虜爲之喪膽而遁. 國家至今全有西北千萬里地, 賴其力也. 故家世皆以强蔭取卿相, 數矣, 而況公寬厚莊重而有守其中者, 猶泰山莫之能移也.
嘗出宰于興禮·中原, 大率寬平淸簡, 邑稱其理. 自後, 國家數遣使, 沙汰淸濁, 凡經郡牧者, 陰相投刺, 獨公自若也. 以如彼功力之後, 有如是德行之實. 位不過卿監, 世所惜也. 然猶桑楡之晩, 樂其退休, 未嘗有歉然之色, 而居常樂也, 內尤信大慈悲藏. 大金天會十年壬子, 春秋七十三, 無疾而登遐, 十一月三日, 安葬于白岳山之麓.
祖惟傑左僕射. 考靖平章事. 妣金氏平章事元鼎女也. 公娶李氏, 給事中唐鑑之女也. 生男六人, 生女四人. 次序名位鏤之于背矣.
銘曰. 徐氏之世, 于列有光. 惟公之偉, 大臣之方. 言寡行敏, 動靜有常. 陰功厚德, 厥後必昌. 誌其髣髴, 庶幾無疆.

(뒷면)
長元成佛都監判官. 次頴觀玄化寺▨紫大師. 次恭景靈殿判官. 次▨▨▨同正. 次▨內侍校書郞同正. 次▨春坊公子. 女四人, 長適金▨之西面判官, 以辛丑冬十月, 先公而死. 次適王毅前試兵部郞中. 次適李淑晨前內侍試尙衣直長. 次適高陽堅書籍店錄事. 孫男九人, 孫女七人, 皆幼. 唯長女▨▨▨永▨▨爲春坊給使▨.
天會壬子冬十一月日, 書.


(앞면)
고려국(高麗國) 돌아가신 조산대부 판장작감사(朝散大夫 判將作監事)로 치사(致仕)한 복양공(濮陽公) 서균(徐鈞)은 그 선조가 이천군(利川郡) 사람이다.
송[大宋] 순화(淳化) 3년(992)에 성종(成宗)이 즉위한 지 12년에 거란(契丹)이 우리를 정벌하러 북쪽 변방을 침입하였는데, 임금이 안북(安北)에 행차하여 장차 땅을 쪼개어 절령(岊嶺)으로써 관문을 삼으려 하였다. 공의 증조(曾祖) 중서령(中書令) 장위공(章威公) 서희(徐曦)가 홀로 분발하여 힘써 그 논의를 배척하고 바야흐로 한번 싸워 스스로 결정하려 하였다. 얼마 되지 않아 오랑캐가 서신을 보내 원수(元帥)를 불렀으나 ▨망(▨亡)히 어렵게 여겨 좌우에서 갈만한 자가 없었다. 공이 강개하여 의로움이 낯빛에 드러나, 이로 인해 가기를 요청하며 아뢰기를, “신(臣)이 가면 곧 저들이 반드시 물러나게 되리니, 성정(聖情)을 수고롭게 할 일이 없습니다.”라고 하였다. 이에 외로운 한 몸으로써 도적 백만의 포위 가운데로 들어가기를 무릅썼고, 오랑캐 장수와 더불어 맞서며 뜻을 굽히지 않고 대의(大義)를 펼쳤으니, 오랑캐가 그 때문에 담력을 잃고 달아났다. 국가(國家)가 오늘에 이르기까지 온전히 서북 천만리 땅을 소유한 것은, 그가 힘쓴 데 힘입은 것이다. 그러므로 가문에서 대대로 모두 강한 음덕으로써 경상(卿相)을 취한 이가 여럿이었는데, 하물며 공은 너그럽고 후하며 씩씩하고 의젓하며, 그 중심에 지조가 있음이 마치 태산(泰山)을 능히 옮기기 어려운 것과 같았다.
일찍이 흥례(興禮)와 중원(中原)에 수령으로 나가, 대개 너그럽고 공평하며 청렴하고 검약하였으니, 고을에서 그 다스림을 칭송하였다. 그 뒤로 국가에서 자주 사(使)를 보내어 청탁(淸濁)을 가려내게[沙汰] 하였는데, 무릇 군목(郡牧)을 지내는 자들이 몰래 서로 명함을 내며 만났으나[投刺], 유독 공만은 아무렇지 않았다[自若]. 그 같은 공력(功力)이 있은 뒤에야, 이 같은 덕행(德行)의 실적이 있던 것이다. 지위가 경감(卿監)을 넘지 못했으니 세간에서 애석히 여긴 바이다. 그러나 오히려 만년[桑楡之晩]에는 그 물러나서 쉼을 즐겼고, 일찍이 서운한 기색이 없이 일상의 즐거움에 거하였으며, 안으로는 더욱 대자비장(大慈悲藏)을 믿었다. 금[大金] 천회(天會) 10년(인종 10년, 1132) 임자에 춘추(春秋) 73세로 질병 없이 돌아가시니[登遐], 11월 3일에 백악산(白岳山) 기슭에 안장하였다.
할아버지 서유걸(徐惟傑)은 좌복야(左僕射)였다. 아버지 서정(徐靖)은 평장사(平章事)였다. 어머니 김씨(金氏)는 평장사(平章事) 김원정(金元鼎)의 딸이다. 공은 이씨(李氏)에게 장가들었으니, 급사중(給事中) 이당감(李唐鑑)의 딸이다. 아들 6인을 낳았고, 딸 4인을 낳았다. 순서와 이름과 지위는 뒷면에 새겼다.
명(銘)하여 이른다.
서씨(徐氏)의 세계는 나란히 빛이 난다.
〈하지만〉 오직 공만이 훌륭하게 대신(大臣)의 방략이 있었다.
말이 적고 행동이 민첩하였으며 움직이고 멈추는 데 일정함이 있었다.
음공(陰功)과 후덕(厚德)으로 그 후손은 반드시 창성하리라.
그 모습과 비슷하게 지었으니 끝없기를 바라노라.

(뒷면)
맏이 서원(徐元)은 성불도감판관(成佛都監判官)이다. 다음 서영관(徐頴觀)은 현화사(玄化寺)의 ▨자대사(▨紫大師)이다. 다음 서공(徐恭)은 경령전판관(景靈殿判官)이다. 다음 ▨는 ▨▨동정(▨▨同正)이다. 다음 ▨는 내시 교서랑동정(內侍 校書郞同正)이다. 다음 ▨는 춘방공자(春坊公子)이다. 딸은 4인인데, 맏이는 김▨지(金▨之) 서면판관(西面判官)과 혼인하였다가 신축년(1121) 겨울 10월에 공보다 앞서 죽었다. 다음은 왕의(王毅) 전 시병부낭중(試兵部郞中)과 혼인하였다. 다음은 이숙신(李淑晨) 전 내시 시상의직장(內侍 試尙衣直長)과 혼인하였다. 다음은 고양견(高陽堅) 서적점녹사(書籍店錄事)와 혼인하였다. 손자는 9인이고 손녀는 7인인데 모두 어리다. 다만 장녀 ▨▨▨영(永)▨▨ 춘방급사(春坊給使)가 된 ▨.
천회(天會) 임자년(1132) 겨울 11월 일에 쓴다.


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